住野よる『青くて痛くて脆い』感想※ネタバレ注意(素人小説書評)

ついに、住野よるさんの最新作が出ましたね。

タイトルは『青くて痛くて脆い』

『青くて痛くて脆い』↓

私は住野よるさんの作品はすべて読んでおり、『君の膵臓をたべたい』からすべて単行本で購入しています。

なので、『青くて痛くて脆い』も発売されるやいなや、急いで書店へ。

待ちに待った住野よるさんの最新作ということで、期待をいっぱいに読みました。

そして案の定、今作もかなり面白かったのですが、なぜか読み終わった後に感情が落ち着かないのです。

ということで、今回は『青くて痛くて脆い』の感想を述べていきます。

※記事の性質上、ネタバレを含みます。

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どんな話?

極力人と関わるのを避けて大学生活を送ろうとしていた田端楓は、大学一年の春に秋好寿乃に出会った。

周りの目を気にせずずかずかと自分の意見を述べる秋好に、最初は嫌悪を示していた楓ですが、ずるずると二人の関係は深まっていきます。

そして、「理想の自分」を目指すという目的のもと、秋好と楓は「モアイ」という団体を創設。

ですが、このときに理想を語り合った秋好はもういなくなってしまい、「モアイ」はかつての創設理念を失い肥大化。

秋好のためにもかつての「モアイ」を取り戻そうと決意した楓は、大学四年にして「モアイ」を破壊しようとしていきますが…..。

自分と向き合って生きていく子供で大人な大学生たちの、成長と喪失を描いた青春小説です。

感想※ネタバレ注意

上述したように、私はこれまで刊行された住野よるさんの作品は全部読んでいます。

私個人的には、今作『青くて痛くて脆い』はこれまでの作品よりも、メッセージ性が強く感じられました。

なぜなら最初にも述べたように、この作品を読み終わった後に、感情が落ち着かないからです。

私の感情が落ち着かないのは、自分自身がこの作品の「当事者」であるかのように考えてしまっているからかもしれません。

 
『青くて痛くて脆い』のストーリーの主軸は、主人公である楓が友人の協力を得たり、はたまた「モアイ」に所属している後輩たちを使って、肥大化した「モアイ」を崩壊させることです。

その際の大前提として、「モアイ」を結成した際の秋好はもういないということ。

このような描写があると、秋好はもう亡くなってしまったのかと思いますよね。

ですが、ネタバレになりますが、秋好は亡くなっているわけではなく、かつて理想を追い求めて「モアイ」を結成した際の純粋でまっすぐな秋好がいなくなったというだけ。

つまり楓は、かつての秋好に戻ってほしいという理由で、「モアイ」を崩壊させようとしていきます。

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結論から言うと、楓は見事に「モアイ」を壊滅させるのですが、そのためにかけがえもないものを失ってしまうのです。

それは、正真正銘の秋好との友情。

楓が「モアイ」を抜けて二年以上秋好と話しはしませんでしたが、ストーリー終盤に二人は再開し、お互いの意見をぶつけ合います。

その際、楓は秋好をとことん傷つけ、そのうえ人格まで否定してしまい、かなり寂しい別れ方になってしまいました。

ですがその後、楓は「モアイ」を潰したかったわけなく、はたまた秋好を悲しませたかったわけでもなく、自分も「モアイ」にいたかったという純粋な気持ちに気付くのです。

 
とまあ、こんな感じで話が進むのですが、私が『青くて痛くて脆い』を読んで感じたことは二つ。

一つは、他の人の「あるべき姿」というのは、自分が勝手に決めてしまっていたのだなということ。

もう一つは、人は必ずどこかで誰かを傷つけ、人を踏み台にして生きているということです。

 
「あいつはああいう人間だ」と、人のことを思ったりしませんか?

私自身も、この友人はこういう人間でこういう側面があり、はたまたこの人はこういう人間だとイメージをつくっています。

これは裏を返せば、「この人はこうあるべきだ」と考えているとも言えるのではないでしょうか。

作中では、楓は秋好のことを「なりたい自分を追い求める純粋な人」とカテゴライズし、それに反する言動をした秋好に対しショックを受けます。

ですがこれって、ただその人のイメージを自分の中で勝手に決めているだけであって、実際に100%その通りの人間なんていません。

実際、私自身も周りの人たちを「こんな人だ」と分類し、勝手にイメージを決めつけている部分があるなと思います。

これは結局、自分自身がその人にこうであってほしいという「願望」なのですね。

そう考えると、ある意味私は周りの人たちにとても失礼なことをしているような気がし、なんとなく落ち着かなくなってしまいました。

 
それともうひとつは、人はどこかで他人を傷つけ、踏み台にしているという点。

これはもう、生きている以上は仕方がないことですよね。

人を傷つけるというのは、ここでは身体的なことではなく精神的なことです。

つまり、言葉によって人を傷つけてしまうことを意味します。

そして、人を踏み台にするというのは、要するに人を使って生きていくということ。

極端なことを言うと、「こいつは僕の友人」や「あの人は私の先輩」というのも、「友人」や「先輩」という自分の関係上に人を置くことで、人を使っているととらえることができるのです。

このように考えると、この世の中大変生きにくいですね。

人を傷つけないというのは、かなり気を付ければできないことはないと思いますが、それでもどこかでほころびは生じてしまうと思います。

一方、人を踏み台にするというのは、誰しもしょうがなくすることですね。

ただ、踏み台にするにしても、その人とどうかかわっていき、どう接していくかによって、その踏み台との関係性も変化するはずです。

つまり、自分が大切にすべきだと思った人とは、しっかり関係性を築いていくことが必要だということ。

まとめ

いろいろ述べましたが、『青くて痛くて脆い』は大学生の成長と喪失を描いた青春小説です。

正直、私のつたない感想ではまったく本書の魅力を伝えきれていないので、ぜひとも『青くて痛くて脆い』を読んでほしいと思います。

もちろん、住野よるさんの作品はどれも面白いので、他の作品もぜひ読んでみてください。

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